mukakoさんと別れ話を持ち出した件にかんして

上記の日記から、もう、誰も助けてくれる人なんか居ない。早くmukakoサンの声が聞きたい、と思い、電話をしました。
前から思っていたんだけど、彼の携帯に電話しても、ほとんど留守電になって、特に最近、電話で話したことはなかったのです。
確かに青森での生活は、想像以上に辛いのだと思います。
でも、俺のことも少しは考えてくれているだろうと思い、その時の気持ちを話したくて電話をしたら、珍しく電話に出てくれて、少しずつ、上記の件で、インドに行くことが不安になり、少し話しているうちに

「今眠いから、また今度ね」

と、あっさり電話を切られてしまいました。

お互いの精神状態が落ち着いていないのに、愚痴を聞かされたら、さすがに辛いだろうと理解していたつもりだけど、唖然としてしまい、この14年間の付き合い、そして俺と出会う前までの、誰もが羨望のまなざしで見ていた彼を考えてみて、彼が精神的にも、経済的にも苦しくなったのは、俺が現れ、俺が

「○○さんとの同棲を辞めて、俺たちの場所を作ろう」

って、俺の願望を言い始めてからだと思ったのです。

同棲する様なパートナーはいながら、2号、3号の愛人を作ることは、この世界では当たり前だったけど、
その考えに俺はどうしても納得いくことが出来ず、彼を略奪したいという気持ちに変わり始めたのだと
思い始めたのだと思います。

その思いはエスカレートしていき、結局彼は今、精神を壊して、青森で生活をしています。

俺さえ現れなければ、間違いなく同棲相手からの経済的ヘルプも、何もかも順調に行っていたと思いました。

彼はまだ若い。諦めるのもまだ早い。だから、俺と別れて、新しい人生をきってみて欲しい、俺と居ることによって、俺は図に乗って、より苦しませてしまうと思っています。

でも、一人ぽっちになった時、俺は多分、しばらく立ち直れないでしょう。

結局、この話は、白紙に戻し、お互いまた切磋琢磨していこうということになりました。

みんな、ごめんね・・・

NEVER(Heart)

金曜日、毎回同様、ミーティングがありました。
ここ二週間にわたっては、本格的に俺が動くことが頻繁になり、
平均睡眠時間は3時間にも満たしていなかったです。

俺は天才肌ではなく、人の10倍努力してやっと人並みになる、凡人です。
ただ、みんなは、俺のことを

「東大で、さらに大学院卒業しているなら、すげぇ天才なんだね」

と、勘違いします。

なので、最初の期待値がでかすぎて、結局俺の出したパフォーマンスは、いつも予想意外にレベルが低い
と、判断され、任されるべき仕事も、他の人に渡り、俺はそのアシスタントになることも、多々ありました。

でも、それは仕方ないのです。最大限の努力をした結果だから・・・

さて、今回転職を希望した理由のひとつが

「せっかく英語がネイティブと普通に話せるくらいの能力を持っているから、海外でのプロジェクトを行いたい。」

「自分は、人がハッピーになってくれれば、俺もハッピーになれるので、就職難といわれる現在、今まで培ってきたコネクションを使って、本格的に人材教育コンサルタントとして生計をたて、プロのヘッドハンターになりたい」

という理由で、6社ほど内定をいただきました。

しかし、そのタイミングで、信用しきっていたあるヘッドハンターとしては、優秀すぎるくらいの方から連絡があり、

「インドではトップの大学院を卒業し、その後東京大学の博士課程で、国際政治学を専攻し、起業したインド人が、教育コンサルや、インドから日本へのITスキルの高いインド人を派遣するプロジェクトを立ち上げたい人が居る」と、教えられ、すでに内定も出ているのですが、興味もあったので、お会いしました。
現在の社長です。

何度か打ち合わせをしている時に、

「これは俺にとっては、世界に進出するまずはじめの一歩だ」

と、思い、すべての内定をお断りして、彼の会社とパートナー契約を結び、個人事業主として
頑張ろうと決めました。

最初、俺を口説くとき、「部屋は3DK、ドライバ付きの車、ラグビーで前歯など、計7本を折ってしまっている、その歯を治療するための金額(日本では合計150万くらいかかります、インドだと同じレベルのものが30万で出来るらしいです)、小遣いや、所有株の数パーセントのシェア、新しいパソコン、全てにおいて心配しないでください」

と、言われていました。

浅はかにも魅力的に感じたので、自分の本当にやりたい仕事に付くことが出来ると思い、パートナー契約を結ぶことを決めました。

その後、様々なインドでの重鎮を紹介していただき、また、彼を紹介してくれたヘッドハンターさんも、この仕事は面白いと思うよ、と言われ、いくら無理難題をあてられても、自分の寝る時間さえ削れば、こなせるのだということで、やるべきことはやっておりました。

でも、そういう、努力していることを普通に告げることって、ビジネスマンとしてはなっていないな、と考えていた俺は、精神的に、かなり倒れそうになった時でも、元気を装うって、ミーティングを繰り返し行っていました。

しかし、いつまで経っても、正式なパートナー契約書にサインすることが延期になり、それを繰り返させられ、18日に出発予定であるにもかかわらず、いまだ、最初はインドのハイデラバードというところまで飛行機でいくのですが、その後の俺のステイするはずの場所さえ、はっきりと決めておらず、

「その場、その場で柔軟に対応して行こうよ。」

と、言われ続け、何よりも家族が心配しているので、契約書だけでもサインしたいという意図を伝えましたが、先日の金曜のミーティングで、まだ用意していなく、当初約束していた、様々な条件(パソコンや、国民年金国民健康保険、損害保険)を、3ヵ月後に払うから、最初は立て替えて欲しいと言い出したので、あきらめていた俺は、全て彼の言う条件を飲み込み、自分の資産を一部担保にし、借金して、それでも足りない部分もあるので、仕方なく親に頼んで、多額の借金を負うことになりました。勿論、この事実も伝えていませんでした。

それでも、この仕事に真剣にトライするつもりだったので、我慢し、先日金曜日、

「全くお金がないので、最初だけ3万円をインドルピーで頂けないでしょうか?」

と、俺と、もう一人のヘッドハンターと頼んだところ、インド人は悩み始めました。

昨日、多額な借金をしている事実も伝えておらず、会社が儲かるのならば、それまで我慢しようと
ずっと我慢していたのに、インドに着いた瞬間に、必ず現地のお金が必要になるのは当然だから
それくらいは、出すだろうと思っていた俺は、渋み始めた彼に、ついに、プッツンしてしまいました。

約3分間、今までの経過と、予定があまりにも変更され続け、何を信頼してよいか分からないと、英語で叫んでいました。

俺の病気が、退院した後、初めて発祥しました。感情の赴くままに、怒っていました。

さすがに、他の二人は唖然としていました。

その後、色々俺の気持ちを落ち着かせるため、 やっと落ち着いた俺に対して

「今は、あなたの性格を理解しているから、大丈夫だけど、現地に一人で入って、社長の友人宅に数週間泊まったとき、その様に急にテンションが上がると、困るんだよな〜一人で行かせる事が心配になってきた、どうしようか・・・」

と、話し始めました。

そして、俺はまた、冷静になり、今回の打ち合わせは終了ということになり、俺は今日で終わりになったなと思っていたけど、月曜日、3人で違う会社に訪問する予定を立ててくれました。

もし、俺を今になってキャンセルする気持ちがあれば、次の予定など立てないと思うし、この週末は寝ることに専念して、来週元気で会おう、といってくれました。

明日月曜日、社長の判断はどう下すか分かりませんが、やはり、あきらめきれないです・・・

教えてください、多額の借金をしていること、寝る間も惜しんで提案書を作っていること、伝えるべきでしょうか?

インド行き日程決定!!!(印度式ー槇原敬之)

取り急ぎ、ご連絡です。

インドに行く日程が

4月18日

に、決定しました。

まずは、半年行って、その後、半永住的に
インドで生活です。

とにかくすごいマンションらしいので、みんな遊びに来て!!

誰でもWelcomだよ!!

もちろん、喫煙もオッケイ^^

よろしくっす^^

とにかく、インド洋に飛び込むつもりで、死ぬ気で頑張るよ^^

サクラ色(アンジェラアキ)

皆さんは、もうお花見済んだかな?俺はもうそれどころじゃないくらい、出発の準備に追われています。結局、インドに行く日程は、4月初旬ということだけで、明日詳細を決めますので、真っ先に報告しますね。

今回、アンジェラアキの「サクラ色」と言うテーマで日記を書いていますが、この季節は、別れと、出会いが重なり、かなり複雑な気持ちになります。

今でも覚えているのは、3月10日の東京大学の合格発表日。
この日付、俺は覚えてなかったけど、親はしっかり覚えていて、俺がインドで使うカードの暗証番号は
0310になっていますw
あの日のことは忘れないっす。

俺の大親友と、元旦から、俺の家で、勉強合宿を3日間して、(二人とも正月が嫌いだったのだwしかも一日18時間勉強してたんだよ)、絶対やつと東大に行って、ラグビー部でプレーするんだと、二人して誓ってました。

合格発表の日、自分の合格を確認して、うれしい気持ちよりも、真っ先に彼の番号を探しました。

なかった・・・

確かに、模擬試験では俺とは大差で、点数が低く、合格可能性も20%以下だったのだけど、同じくして中学からラグビーに没頭していたやつだけあって、集中力がすごく、ものすごいレベルで成績を上げていたから、俺は、望み高く受かることを望んでいた。一緒に、同じキャンパスで勉強もしたかったし、同じフィールドでラグビーもしたかった。

俺は東大しか受けなかったのだけど、彼は早稲田も受けていて、早稲田には合格していたので、その年に早稲田に入学して、敵として、ラグビーをしましたw

今では、当時彼と同じく、仲間として予備校で勉強に励んでいた、その年の一番の駿台予備校の美人と結婚して、彼女も早稲田に合格していて、(因みにキューピット役は俺っすw)

「お前、策士だろ?」

と、馬鹿にし合ってます。

今でも、10年以上前からの仲間と、当時の感覚で話が出来ること、そのときの出会い、そして違うキャンパスに行ってしまったけど、お互い幸せだと言うことに感謝して、「サクラ色」を、お送りします。

Love from nobuラガ

Firefly〜僕は生きていく(槇原敬之)

自分の力を、蛍の光で表現すると、街頭の明かりに消えうせてしまうほど、微弱なもの。
だから、想い人がそばに居ないことに対して、まだ、正直、心の整理ができていない。
それでも、日常は動くので、気がついたときには、想い人に連絡するのを忘れたり。。。

僕の力は「Firefly(蛍)」の明かりにさえ届かない。
でも、少しの光でも、何千も集まれば、きっと、遠く青森まで届くのだと信じています。

みんなにも、ありがとうと、お伝えしたいです。

明けない夜がくることはない(槇原敬之)

どんなに辛い事があっても、どんなに楽しいことがあっても、その日の夜は明け、明るい次の日がやってくる。
やっと現実に目を向け始めることが出来た気がする。
どんなに遠く離れている人でも、心から想っていれば、気持ちは伝わると、再認識した。
これから、仕事が忙しくなる。
でも、彼のことを心から想っていれば、大丈夫。
そうやって、次の日の夜が来るのを楽しみにしよう。

遠く遠く・・・(槙原敬之)

人生で、初めての、遠距離恋愛が始まろうとしています。

今までは、車で1時間もすれば、必ずいた人。

それが、数百キロの所に住む事になります。

そして、一ヶ月もすれば、俺自体、日本を出て、
時間さえ異なる場所に、住む事になります。

十年以上続いている恋愛。

これからも、この気持ちはまったく変わらない自信があります。

でも、実際に、恋愛は、時間も国境も越えることができるのでしょうか?